日本のレーシックの昔と今

ひと昔・・・15~20年くらい前、1990年代に近視を矯正する手術は・・・今から考えたらそれなりにリスクを伴う手術だったんだと思います。

当時の日本はまだまだこの分野の普及は遅れていて、一部の先進的な眼科医が試行錯誤しながら地道に手術していた時代。。。または一部の”眼科以外の先生”が商業的に取り組み始めた時代です。

一部の患者様は裸眼視力の向上を夢にみて海外に飛び出していた時代だと思います。

当時屈折矯正手術はRK、AKといって、メスで角膜を切開して近視や乱視の度数を矯正するものでした。当然ですが手術結果は不安定で、結果の良い人は一定の割合でいたとは思いますが、結果の悪い人も相当割合いたんだと思います。手術費用は100万円オーバーが当たり前の時代だったと思います。

その後はPRKが登場します。ただしエキシマレーザー照射で角膜を削るだけで術後の視機能はあまり考えられていません。眼球追尾システムなんて機能もありません。当然ですが術後グレアハローは強く、多少の照射ズレは当たり前くらいの時代もあったと思います。

そしてついにレーシックが日本上陸です。初期のフラップ作成はマイクロケラトームです。刃物で機械的に角膜表面を薄く切る機械です。作動不良も時々はあったと思います。初期のRK、AKでの矯正手術からエキシマレーザーでの矯正手術に徐々に移行していく時期です。PRKなら70~80万円、レーシックなら100万円くらいの値段だったと思います。

 

2000年を過ぎたあたりでケラトームの精度やエキシマレーザーの精度がだんだん良くなります。フラップ作成トラブルが少なくなり、エキシマレーザーに眼球追尾システムが装備されるようになり照射精度が良くなります。グレアハローを軽減する視機能を考慮した照射が行われるようになります。さらにレーザーでフラップ作成を行うフェムトセカンドレーザー時代が到来します。この頃のレーシック費用は50~60万円くらいだったと思います。

2004年の品川近視クリニック登場からレーシック費用がグッと安くなります。レーシック費用が20万円くらいが当たり前の時代になります。この時期から”安全にレーシックを当たり前に受ける時代”・・・になったと思います。レーシックは安全に正確に行われるようになり、さらにはレーシック以外の矯正方法が行われるようになりました。

現在では角膜の厚さの安全基準、角膜形状の安全基準がある程度整備されています。高度近視や円錐角膜はフェイキックIOLや角膜リング、クロスリンキング等の術式が行われ、レーシック以外の術式が行われるようになり、日本の屈折矯正手術の充実度、安全度のレベルはかなり高くなったと思います。

レーシック以外の手術はまだまだ高価なものもありますが、海外に行かなくても安全で比較的安価にレーシックを行える日本はホントに良い国だと思います。